<2026年8月15日 訂正更新について>
本記事は、シリーズ第8稿『「調べる」から「判断する」へ。AI時代の知のつくり方』で実施した出典監査の結果を反映し、一部を訂正しています。訂正箇所は元の記載を取消線で残したうえで、直下に訂正文を記載しています。
合祀を免れた新潟は、100年後にどうなったか
――「神社数日本一」を統計で分解し、雪国の社叢を資産として評価しなおす
【本記事について】シリーズ3本目です。第1稿「サステナビリティは南方熊楠に学ぼう」では明治神宮の森から、第2稿「明治政府は計算していた。ただし、項目が足りなかった」では費用便益分析から、サステナビリティの土台を考えました。第2稿の終盤で、私は「新潟 vs 三重・和歌山」という準自然実験に軽く触れました。本稿はそこを主戦場にします。対照群を、真正面から調べます。
0. 問題設定:「日本一」を疑うところから始める
新潟県の神社数は日本一である。これはよく知られた雑学だ。文化庁『宗教年鑑』2023年版によれば、2022年12月31日時点で宗教法人単位の神社は全国8万608社、都道府県別最多は新潟県の4,672社、以下兵庫県3,852社、福岡県3,409社、愛知県3,352社、岐阜県3,264社と続く(下記出典1)。
そして、その理由としてほぼ必ず二つが挙げられる。新潟県神社庁自身がコラムでこう説明している。県内4,700社余りという全国一の神社数の背景には、明治の頃に新潟県が全国で最も人口の多い県だったこと、そして明治末期に政府が進めた神社合祀政策の影響を比較的受けなかったことがある。人口が多かったのは、日本人の9割が農業で生活していた時代に広い穀倉地帯を持ち収穫高が大きかったからで、人口の多さが自然村(農耕・漁労を通じて自然に形成された村落共同体)の多さにつながり、必然的に神社数も多かった——と(下記出典2)。
そのうえで神社庁は、印象的な一文を添えている。その意味で新潟県は、神社の自然な成り立ちを今に伝えていると言える、と(下記出典2)。
この一文が、本稿の出発点になる。
なぜなら、ここには二つの異なる主張が同居しているからだ。
- 新潟にはもともと神社が多かった(人口・自然村が多かったから)
- 新潟は合祀を免れた(政策の影響を受けなかったから)
この二つは別のことである。前者は「初期値が大きい」、後者は「減少率が小さい」。「日本一」という結果は、この両方の合成なのに、それを分解せずに語ってきた。
実践者として、まずここを数字で切り分ける。
1.【情報・統計×地理の目】「日本一」を分解する
1-1. 分母を1888年に置き直す
合祀政策が始まったのは1906年(明治39年)である(下記出典11-12)。したがって「合祀の効果」を見たいなら、分母は現在人口ではなく、合祀前の人口でなければならない。現在人口で割ると、その後100年の人口移動(新潟は流出県、東京は流入県)の効果が混ざってしまう。
幸い、良いデータがある。総務省「日本の長期統計系列」による明治21年(1888年)の都道府県別人口(乙種現住人口)である。統計サイト「とどラン」の整理によれば、この年の全国人口は3,962万6,600人、1位は新潟県の166万2,900人、2位兵庫県151万500人、3位愛知県143万6,100人、4位東京都135万4,400人、5位広島県129万1,400人だった(下記出典10)。
新潟県の人口日本一は一時の話ではない。国立国会図書館レファレンス協同データベースが紹介する田中圭一『新潟県の歴史』(山川出版社)によれば、現住人口は明治25年まで全国第一位で、翌年に東京府に抜かれ、日清戦争後に大阪府、日露戦争後に兵庫・愛知・福岡に抜かれて、大正3年には第6位になった。原因は出稼ぎ・移民などの人口流出で、とくに京浜・阪神・東海方面へ吸収されたという(下記出典11)。
つまり新潟県は、合祀政策が始まる前の時点では、日本最大の人口県だった。 分母として使うにはこれ以上ない条件である。
1-2. 基準化してみると、風景が変わる
そこで計算する。現存神社数 ÷ 1888年人口である。
[筆者試算]1888年人口10万人あたりの現存神社数
| 都道府県 | 1888年人口 | 現存神社数 | 10万人あたり | 全国平均比 |
|---|---|---|---|---|
| 全国 | 39,626,600 | 80,608 | 203.4社 | 1.00 |
| 岐阜 | 904,500 | 3,264 | 360.9社 | 1.77 |
| 福岡 | 1,209,600 | 3,409 | 281.8社 | 1.39 |
| 新潟 | 1,662,900 | 4,672 | 281.0社 | 1.38 |
| 兵庫 | 1,510,500 | 3,852 | 255.0社 | 1.25 |
| 愛知 | 1,436,100 | 3,352 | 233.4社 | 1.15 |
<2026年8月15日 訂正更新:文化庁『宗教年鑑 令和5年版』第2表⑵「宗教法人・神社」欄(令和4年12月31日現在)の原本を確認したところ、当該3県の数値に誤りがありました。訂正後は下表のとおりです。
三重|908,300|849|93.5社|0.46
和歌山|621,400|444|71.5社|0.35
大阪|1,242,400|733|59.0社|0.29
[誤りの内容]公開時の表は、新潟・兵庫・福岡・愛知・岐阜を『宗教年鑑』の紹介記事から、三重・和歌山を民間データベースから引いており、比較表の中でデータ系統が混在していました。また大阪の571という数値は、いずれの系統とも一致せず、出所を特定できませんでした。
[訂正後]全8県すべてを『宗教年鑑 令和5年版』の「宗教法人・神社」欄という単一系統・単一時点に統一しました。全国平均も同系統の80,608社から算出し、203.4社/10万人としています。
[結論への影響]新潟1.38倍、岐阜1.77倍、福岡1.39倍、兵庫1.25倍、愛知1.15倍は公開時の値と小数第2位まで一致しました。三重・和歌山も0.01の変動にとどまります。動いたのは大阪のみ(0.23→0.29)で、本稿の中核的な比較結論——「新潟は多いのではなく減らなかっただけ」「変位が大きいのは消えた側」——は変わりません。>
(筆者試算。1888年人口は総務省「日本の長期統計系列」/とどラン(下記出典10)。現存神社数は『宗教年鑑』2023年版および民間データベース(下記出典1)。三重・和歌山・大阪は出典系統が異なるため概数として扱う)
<2026年8月15日 訂正更新:(筆者試算。1888年人口は総務省「日本の長期統計系列」/とどラン(下記出典10)。現存神社数は全県とも文化庁『宗教年鑑 令和5年版』第2表⑵「宗教法人・神社」欄(令和4年12月31日現在)による単一系統。)>
この表が示すことは、通説と違う印象を与える。
発見①:新潟は「異常に多い」わけではない。 1888年人口で基準化すると全国平均の1.38倍。多いには多いが、突出した外れ値ではない。しかも岐阜県(1.77倍)のほうが上である。「日本一」は絶対数の順位であって、密度の話ではない。
発見②:異常なのは、むしろ三重・和歌山・大阪の「少なさ」である。 三重0.45倍、和歌山0.34倍、大阪0.23倍。全国平均の3分の1から4分の1しかない。変位が大きいのは、残った側ではなく、合祀で消えた側だ。
発見③:したがって、新潟の正しい位置づけは「豊かな例外」ではなく「基準線」である。
新潟県神社庁の「神社の自然な成り立ちを今に伝えている」という表現は、統計的にかなり正確だったことになる。新潟は増えたのではない。減らなかったのである。
1-3. これは何を意味するか
対照群の設計として考えると、これは好都合な性質だ。
処置群(三重・和歌山)と対照群(新潟)を比べるとき、対照群が「特別に恵まれた土地」だと、比較の意味が薄れる。 特殊な条件のおかげかもしれないからだ。だが対照群が「平均に近い」なら、その差はほぼ処置(合祀)そのものの効果と見てよい。
新潟は、全国平均の1.4倍という、やや高めだが十分に代表性のある水準にいる。対照群として使える。
1-4. 反実仮想:新潟が三重並みに合祀されていたら
では、もし新潟で三重県並みの合祀が徹底されていたら、何社が消えていたか。
[筆者試算]反実仮想シミュレーション
| シナリオ | 残存したはずの神社数 | 消失したはずの数 |
|---|---|---|
| 実際(合祀を免れた) | 4,672社 | — |
<2026年8月15日 訂正更新:公式値による再計算後は下表のとおりです。
三重県並み(全国平均の0.46倍)に合祀|約1,554社|約3,118社
和歌山県並み(0.35倍)に合祀|約1,188社|約3,484社
いずれも変動は1%以内で、本文の「3,000社を超える神社と、その森が消えていた計算になる」という記述は変わりません。>
(筆者試算。1888年人口×全国平均密度×各県の対全国平均比、で算出)
3,000社を超える神社と、その森が消えていた計算になる。
逆算もしておこう。三重県が全国平均密度を保っていれば約1,847社、和歌山県なら約1,264社あったはずである。現存はそれぞれ約840社、約434社。差し引き、三重で約1,000社、和歌山で約830社が「密度換算での消失分」ということになる。
<2026年8月15日 訂正更新:逆算もしておこう。三重県が全国平均密度を保っていれば約1,848社、和歌山県なら約1,264社あったはずである。現存はそれぞれ849社、444社。差し引き、三重で約999社、和歌山で約820社が「密度換算での消失分」ということになる。>
なお、より直接的な統計もある。Wikipedia「神社合祀」に引用された記述によれば、三重県では明治36年に1万524社あった神社が大正2年には1,165社にまで減少している。これは社格の数え方が異なるため上の表とは直接比較できないが、一県で1万社が1,000社になるという桁の変化が起きたことは間違いない。
<2026年8月15日 訂正更新:この記述を撤回します。
[撤回の理由]出典がWikipedia経由の二次情報であり、原資料を特定できませんでした。加えて、公開時の本文自身が「社格の数え方が異なるため上の表とは直接比較できない」と留保しており、留保付きの数字を掲載する実益がありません。
[論旨への影響]三重県で合祀が大規模に行われたことは、(a)大濱徹也『世界大百科事典』の「三重・和歌山などはかなり大規模に行われた」という記述、(b)公式統計に基づく密度(全国平均の0.46倍)——この2点で十分に示せます。本稿の論旨は変わりません。>
2.【社会×政治の目】なぜ新潟は抗えたのか
数字が出たところで、原因を見る。
2-1. 「県が消極的だった」という説明
新潟県神社庁への取材をまとめた記事によれば、県が挙げる理由は、明治後期に政府が出した神社統廃合を要請する合祀政策に県が消極的だったこと、および明治期に新潟の人口が全国最多で集落ごとに神社ができたと考えられること、である(吉原表具店による神社庁への取材記事、ならびに新潟総合テレビの報道を引いたねとらぼリサーチの記事。下記出典5-6)。
第2稿で見たとおり、合祀の執行は知事の裁量に委ねられていた。コトバンクに収録された大濱徹也の解説によれば、この神社合併は政策の直接執行者が各府県の長官であったため地方によって合併状況の濃淡が出て、三重・和歌山などはかなり大規模に、新潟ではあまり行われなかった(下記出典12)。
つまり同じ勅令の下で、知事一人の判断が、100年後の県土の森林配置を決めた。 これは行政学の教材として、なかなか強烈な事例である。
2-2. 住民の抵抗という要因
現場レベルの記録もある。神道体験プラットフォームINORIのコラムは、明治後期の現・新潟市域の村々の記録を見ると13村のうち5村で神社数がまったく変化しておらず、住民の反対が強く地域の鎮守様が守り抜かれた、国が強く推進した合祀政策が新潟では相当程度骨抜きになっていた、と記している(下記出典7)。
この「13村中5村」という数字は、出典が二次的であり、原資料にあたっての検証が必要であることは明記しておきたい。ただし方向性としては、県の消極姿勢と住民の抵抗が重なったという説明は、上の統計と整合する。
<2026年8月15日 訂正更新:前段の記述を撤回します。
[撤回の理由]公開時にも後段にて「原資料にあたっての検証が必要」と明記していましたが、その後の監査で原資料を特定できませんでした。引用元のコラムは典拠を示していません。検証できない数値は、傍証としても用いないこととします。
[論旨への影響]「県が合祀に消極的だった」という説明は、新潟県神社庁の見解および大濱徹也の記述(「新潟ではあまり行われなかった」)で支えられており、本稿の論旨は変わりません。住民レベルの抵抗については、原資料に到達できた段階で改めて記述します。>
2-3. 経済的レジリエンスという補助線
なぜ抗えたのか。ここで経済史の視点が効く。
新潟の人口を支えたのは越後平野の稲作生産力と、日本海の北前船がもたらした富である。前掲のブログ記事が引く朝日新聞の記事では、鬼頭宏(上智大学教授)の見解として、江戸時代は稲作に適した気候に恵まれ、大阪と北海道を結ぶ北前船航路のあった日本海側のほうが太平洋側より豊かな傾向があった、と紹介されている(下記出典11)。
経済的に自立した共同体は、中央の要請に「できません」と言える。 神社の維持費を自前で賄える氏子集団に対して、「公費を集中させるために統合せよ」という論理は、そもそも訴求力を持たない。第2稿で見たとおり、合祀を駆動したのは神饌幣帛料という補助金の支給基準だった。補助金を必要としない共同体には、この梃子が効かない。
これは現代の政策設計にも通じる論点である。 インセンティブによる誘導は、そのインセンティブを必要としない主体には効かない。裏を返せば、財政的に脆弱な地域ほど、中央の設計に従わざるをえない。合祀が三重・和歌山で徹底され新潟で骨抜きになったのは、信仰心の厚薄ではなく、財政的独立性の差だった可能性が高い。
2-4. 補助線をもう一本:新潟には「森を守る前例」があった
そしてもう一つ、見落とされがちな事実がある。新潟には、合祀より半世紀以上前から、森林を公共インフラとして扱う実績があった。
新潟県のウェブサイト「にいがた海岸林物語」によれば、新潟の海岸は昔から「砂ふぶき」に悩まされ、住民は家や田畑が砂で埋まる被害を受けていた。町民・牛腸金七が考案した「簀立て(すだて)」工法で人工的に砂丘を築いて風を弱め、その背後にグミやクロマツを植えて砂防林とした。そして1843年、新潟奉行となった川村修就が海岸の木を伐ることを禁じ、6年間で3万本のマツを植え、1851年には新潟の海岸全域に砂防林が完成したという。現在この砂防林は森林法の下で保安林として守られている(下記出典17)。
明治政府が「森は伐って売れる資産だ」と考えていた頃、新潟にはすでに「森は伐ってはいけないインフラだ」という60年分の統治経験があった。 抵抗の背景にある知識の蓄積は、決して感情論ではない。
3.【理科の目】雪国の社叢は何をしているのか
ここから理科である。合祀を免れて残った新潟の社叢は、実際に何をしているのか。
第1稿では、明治神宮の森のクールアイランド効果——夏の涼しさ——を扱った。だが日本海側の社叢の主戦場は夏ではない。冬である。
3-1. 冬型気圧配置という前提
まず物理的な前提を押さえる。冬季、シベリア高気圧から吹き出す北西季節風は、日本海上で大量の水蒸気を取り込み、越後山脈にぶつかって強制上昇し、大量の雪を降らせる。これが日本海側豪雪の基本メカニズムである。
社叢が対処するのは、この降雪そのものではなく、降った雪が風で運ばれる現象(吹雪・地吹雪)である。ここが重要な区別だ。
3-2. 防雪林の物理:三つの機能
道路防雪林の技術基準を見ると、そのメカニズムが明快に整理されている。寒地土木研究所の「吹雪対策マニュアル」第2編「防雪林編」によれば、道路防雪林は防風機能により風を弱め、風上から運んできた雪を林帯内や林帯周辺に堆雪させて道路上の吹きだまり形成を防止する。また視程変動強度を小さくして視程障害を緩和する。さらに、日中の吹雪時には樹木が白い背景に対して黒っぽい視認物として大きな輝度差を持つため、視線誘導効果も併せ持つという(下記出典14)。
同マニュアルによれば、日本における道路防雪林の造成は1977年と1978年に北海道開発局札幌開発建設部が一般国道12号岩見沢市岡山地区に造成しその効果を調査したことに始まる。第1号は同地区の道路防雪林である(下記出典14)。
整理すると、雪に対する森の機能は三層に分解できる。
| 機能 | 物理的メカニズム | 代替する人工物 |
|---|---|---|
| ①減風 | 樹冠の空力抵抗で風速を減衰。壁と違い風を「適度に通しながら」減衰させるため、下流側の巻き込み渦が生じにくい | 防雪柵 |
| ②捕捉・堆雪 | 減速した気流から雪粒子が沈降し、林帯内・林帯周辺に堆積。道路や集落側に吹きだまりをつくらせない | 防雪柵+除雪 |
| ③視程確保 | 白い背景に対する黒い視認物として輝度差を生み、視線誘導として働く | 視線誘導標・照明 |
①が本質的に重要である。 完全な壁で風を止めると、その背後に強い渦が生まれ、かえって局所的な吹きだまりを作る。森林は多孔質(porous)な減衰体であり、風を殺しきらずに弱めるため、この副作用が小さい。「壁より森のほうが効く」という主張には、流体力学的な根拠がある。
3-3. 屋敷林という証拠
新潟の集落を歩くと、家の周りに樹木がまとまって植わっているのが目に入る。屋敷林である。
Wikipedia「屋敷林」の整理によれば、屋敷林は台風・季節風・地方風などのエネルギーを低減させて集落や家屋を保護する手段として活用され、多雪域では敷地内の積雪を少なくさせる効果もある。そして重要なのは次の点だ——家屋に対する屋敷林の配置方向には地域における共通性・系統性が認められることが多く、その方向は当該地域において防ぐべき強風の風向を示している(下記出典15)。
つまり屋敷林の配置は、風向データそのものである。 気象観測所が一つもなかった時代に、集落が数百年かけて記録した卓越風向の分布図が、いまも土地に刻まれている。
社叢についても同じ読み方ができる。集落と社叢の位置関係は、その集落が何から身を守ろうとしたかを示す。 第2稿で紹介した高田知紀らの研究——東日本大震災で、スサノオノミコトを祀る神社と熊野神社のほとんどが津波被害を免れていたという知見(土木学会論文集F6、2012年)——と、方法論として同じ発想である。
神社の立地は、災害リスクの検証を数百年ぶん済ませた地理データベースである。 三陸ではそれが津波として現れ、越後ではそれが風雪として現れる。
3-4. 生態学的な位置づけ:孤立林としての社叢
ただし、社叢を手放しで「極相林」と呼ぶのは正確ではない。ここは慎重にいきたい。
Wikipedia「鎮守の森」の整理は、この点をよく押さえている。社寺林は、かつての植生を残す場所というだけでなく、都市緑地・孤立林・地域の生物多様性を支える文化的緑地として研究対象になっている。一方で完全に昔の植生を残していると考えないほうがよいとも述べる。周辺が開発され鎮守の森だけが孤立して残れば、もともと広く連続していた植生が小さく切り取られたことになり、面積が小さくなることで個体群を維持できない種も出てくる。渓流沿いなどの地形が含まれないこともあり、古来の群落から失われる部分も多い。それに伴う乾燥化も生じ、新たに侵入する種もある。神社によく見られるクスノキは、本来は日本の中南部の森林にあったものではないと考えられている、とも指摘されている(下記出典31)。
さらに近年の動態も報告されている。同項目によれば、1970年代の社寺林調査と2024年調査を比較した研究では、近畿・中国・九州の社叢で低木層の種数減少や、林床性種群から攪乱種群・シカ不嗜好植物への植生動態が報告されている(下記出典31)。
これは新潟の社叢を評価するうえで決定的に重要な留保である。
- 4,672社が「残っている」ことと、そこに健全な森があることは別
- 神職の常駐しない神社が大半である(新潟県神社庁のQ&Aによれば、県内の神職は636人、うち本務宮司は360人。多くの神社は兼務で平素は常駐していない(下記出典3)。新潟文化物語の紹介では宮司職は県内に340人ほど(下記出典4))
- 管理の主体は氏子や町内会であり、人口減少の影響を直接受ける
「合祀を免れた」ことは、資産が残ったことを意味するが、資産の状態が良好であることは意味しない。 ここを曖昧にすると、記事全体が精神論に転落する。
4.【物理×国語の目】越後は、雪を「記録」した土地でもある
理科と社会の交差点として、ここでもう一つの新潟を出しておきたい。雪を観察し、記述し、出版した歴史である。
4-1. 『雪華図説』と『北越雪譜』
まず1832年(天保3年)、下総国古河藩主・土井利位が『雪華図説』を刊行する。印刷博物館の解説によれば、これは土井が顕微鏡を用いて約20年にわたり雪を観察・研究してまとめたもので、日本で初めて科学的視点から記された雪の自然科学書として高い評価を得ている。掲載された結晶は86種、土井は雪の結晶を「雪華」と名付けた(下記出典21)。
観察方法まで自序に記されている。同館の解説によれば、雪が降りそうな日に黒色の八糸緞(織物)をさらして冷却させ、降ってきた雪を受けると肉眼でも見えるが顕微鏡を用いるとさらにはっきり見えること、息がかかることを避け、手のぬくもりを防ぎ、繊鑷(ピンセット)を用いることなどが述べられている(下記出典21)。
これは完全に現代の実験プロトコルである。 基板を予冷する、試料に呼気を当てない、体温を伝えない、ピンセットで扱う。理科の授業でそのまま使える。
そして1837年(天保8年)、越後魚沼の縮仲買商・鈴木牧之が『北越雪譜』を江戸で出版する。Wikipedia「北越雪譜」の整理によれば、同書は雪の結晶のスケッチ(『雪華図説』からの引用)から雪国の風俗・暮らし・方言・産業・奇譚まで、雪国の諸相を豊富な挿絵とともに多角的かつ詳細に記した「雪国百科事典」ともいうべき資料的価値を持ち、出版されると当時のベストセラーとなった(下記出典20)。
岩波文庫版の紹介文は、この本を単なる風土記的興趣にとどまらず「科学的随筆」とも称すべきものであり、方言研究の重要資料でもある、と評している(下記出典23)。
4-2. そして、雪は市場になった
ここからが面白い。印刷博物館の解説によれば、『雪華図説』に描かれた「雪華図」は『北越雪譜』に引用され、この本がベストセラーとなると江戸で「雪華」模様が流行し、浮世絵や刀の鍔、かんざしなどの小物、さらには着物のテキスタイルまで、さまざまな物に用いられた。 この模様は土井利位の官職名から「大炊模様」の別名を持つという(下記出典21)。
顕微鏡による自然観察が、書籍を経て、江戸のデザイン市場を生んだ。
これは驚くべき経路である。整理するとこうなる。
観察(理科)→ 出版(国語・メディア)→ 流行(経済)
理科の一次観察が、文学的な編集を経由して、経済的価値に転化している。100年前の話ではあるが、構造としては現代のサイエンスコミュニケーションとまったく同じだ。
4-3. 検証は、100年後に行われた
さらに続きがある。雪の結晶研究で知られる中谷宇吉郎が、後年『雪華図説』を検証している。中谷の随筆「『雪華図説』の研究」(青空文庫所収)によれば、22例について『雪華図説』の摸写図と雪の結晶の顕微鏡写真とを比較した結果、土井利位の摸写図の大部分はきわめて自然に忠実なものであることがわかったという(下記出典22)。
江戸の藩主が肉眼と初期顕微鏡で描いたスケッチが、昭和の物理学者の顕微鏡写真によって「正確だった」と判定された。 観察記録が100年後に検証可能なデータとして機能した例である。
そして本稿の文脈では、これがもう一つの意味を持つ。 越後は、雪を「耐えるもの」としてだけでなく、「観察し、記述し、価値に変えるもの」として扱ってきた土地でもある。社叢を守った共同体と、雪を記録した文人は、同じ雪国の文化圏にいた。
5.【地理×理科の目】ケーススタディ:彌彦神社
具体を一つ掘る。越後国一宮・彌彦神社である。
5-1. 山そのものが御神体
彌彦神社は新潟県西蒲原郡弥彦村にあり、Wikipedia「彌彦神社」によれば式内社(名神大社)、越後国一宮、旧社格は国幣中社である(下記出典30)。
背後の弥彦山について、彌彦神社の公式サイトはこう説明している。標高634メートルとそれほど高くはないが、越後平野に屹立し最初に朝日に照らされる山といわれ、山頂には御神廟があり、山頂から日々越後を守っている、と(下記出典25)。弥彦観光協会によれば、弥彦山は新潟平野のほぼ中央部の日本海に面した弥彦山塊の主峰で、北隣の多宝山と双耳峰をなし、佐渡弥彦米山国定公園の一部である。標高は東京スカイツリーと同じ634m(下記出典28)。
神体山型の神社は、境内林ではなく山塊そのものが社叢になる。 これが平地の鎮守の森とは規模が桁違いになる理由である。
弥彦観光協会の案内は、彌彦神社が霊峰弥彦山の麓に佇み、樹齢400〜500年の古杉・古欅に囲まれていることを紹介している(下記出典29)。境内には「蛸ケヤキ」「婆々杉」といった巨木が知られ、参道沿いには「万葉の道」——杉木立に囲まれ、『万葉集』に登場する植物のうち弥彦山に自生する約60種を集めた道——が整備されている(弥彦観光協会)。
『万葉集』の植物リストが、そのまま現地の植生調査リストになる。 文学作品を植生の時系列データとして使う——これは国語と生物の贅沢な交差点である。
5-2. 地理的配置の読み方
地理の目で見ると、配置に意味がある。
弥彦山塊は越後平野の西縁、日本海に面して立つ。冬季の北西季節風は、まずこの山塊にぶつかる。彌彦神社はその東側山麓、つまり風下側に位置する。
この配置は偶然ではない。 越後平野の農業地帯から見れば、弥彦山塊とその樹林は、日本海からの季節風に対する第一の遮蔽体である。そしてその風下の懐に、越後一宮が置かれている。
ただし注意しておきたい。「だから神社が平野を守っている」と一足飛びに言うのは、実証の飛躍である。 遮蔽の主体は山塊という地形であり、社叢はその表層を覆う植生にすぎない。社叢の寄与分を分離するには、植生の有無を変えた数値シミュレーションが必要になる。本稿で言えるのは、「地形と植生と信仰の配置が同じ論理で並んでいる」という観察までである。
5-3. そして、ここでも建物は焼けた
最後に、第1稿からの流れとしては見逃せない事実がある。
文化遺産オンラインの彌彦神社本殿の解説によれば、現在の社殿は明治45年(1912年)に焼失した後の再建であり、再建にあたって弥彦山を背負う位置に社殿を移している。再建の設計は伊東忠太と桐山平太郎、監督は奥本五一、飾金具の意匠は大江新太郎ら明治神宮造営局のグループがあたった。 本殿は焼失前と同様の流造で、屋根は銅板葺(下記出典27)。彌彦神社の公式サイトによれば、再建には五年の歳月がかかり、大正5年に竣工している(下記出典26)。
伊東忠太——第1稿で、明治神宮の社殿建築を担った東京帝国大学教授として登場した人物である。
つまり、こういうことになる。
| 彌彦神社 | 明治神宮 | |
|---|---|---|
| 出来事 | 1912年 火災で社殿焼失 | 1945年 空襲で社殿焼失 |
| 再建設計 | 伊東忠太・桐山平太郎 | (造営時)伊東忠太・関野貞 |
| 装飾意匠 | 大江新太郎ら明治神宮造営局のグループ | — |
| 再建完了 | 1916年(大正5年) | 1958年(昭和33年) |
| 森 | 樹齢400〜500年の既存林が残存 | 1920年に人工的に造成 |
同じ設計者と同じチームが、ほぼ同時期に、越後一宮の再建と東京の新設神宮を手がけていた。 一方には数百年の森がすでにあり、もう一方にはこれから150年かけて森を作る計画があった。
そして両方で、建物は焼け、森は残った。 第1稿で書いた非対称性が、29年早く、新潟で先に起きていたことになる。
6.【経済の目】新潟の社叢を、資産として評価する
第2稿で構築した評価枠組みを、新潟に適用する。
6-1. 代替法という考え方
環境経済学には代替法(Substitute Cost Method)という手法がある。「その自然が失われ、同じ機能を人工物で代替するとしたら、いくらかかるか」を問うアプローチだ。
社叢の防雪・防風機能に、これを当てるとどうなるか。定性的に整理する。
| 評価項目 | 人工インフラで代替 | 社叢を維持 |
|---|---|---|
| 初期費用 | 防雪柵・擁壁・砂防設備の新設が必要 | 既存資本を使うため事実上ゼロ |
| 維持更新 | 構造物は耐用年数ごとに更新が必要。恒久的な財政負担 | 天然更新により自律的に更新。管理は氏子・町内会の労力 |
| 時間経過 | 完成時点から劣化(減価償却) | 根系が発達し樹冠が広がるほど機能向上 |
| 副次価値 | 防雪という単一機能 | 生物多様性・景観・炭素固定・コミュニティ機能・観光資源 |
| 不可逆性 | 撤去・再建が可能 | 伐採すると回復に数十〜数百年 |
「時間経過」の行が、この表の核心である。 人工構造物の価値は時間とともに減る。森の機能は時間とともに増える。符号が逆なのだ。
第2稿で見た割引率の議論と、ここが噛み合う。社会的割引率4%は「将来の便益を割り引く」ための係数だが、森の場合は割り引かれる将来の便益そのものが増えていく。この二つの効果を同時に扱わないと、評価は必ず森を過小評価する。
ただし、この表は定性的な整理であって、B/Cを出したものではない。 実務でこれを使うなら、代替すべき機能水準(何m/sの風を何%減衰させるか)を定義し、それを満たす防雪柵の延長と単価を積算する必要がある。「森は安い」と主張するには、その積算が要る。 本稿はそこまでは行っていない。
6-2. 桁を確認する
第2稿と同じ単価で、新潟の社叢の年間便益を概算する。日本学術会議答申「地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価について」(平成13年11月)に基づく森林・林業学習館の整理では、貨幣評価された多面的機能の合計は年間約70兆円、森林1ha当たり年間約280万円となる。ただし林野庁は、これが一定の仮定の範囲での試算であり適用には細心の注意が必要であると明記している。
[筆者試算]新潟県の現存社叢(4,672社)の年間便益
| 1社あたり平均社叢面積 | 合計面積 | 年間便益 | 参考:永久便益の現在価値(r=2%) |
|---|---|---|---|
| 0.05 ha | 234 ha | 約7億円/年 | 約0.03兆円 |
| 0.1 ha | 467 ha | 約13億円/年 | 約0.07兆円 |
| 0.3 ha | 1,402 ha | 約39億円/年 | 約0.20兆円 |
1.0 ha|4,672 ha|約131億円/年|約0.66兆円
<2026年8月15日 訂正更新:1.0haシナリオを感度分析の対象から外します。根拠とした神饌幣帛料の供進基準(境内地150〜300坪=約0.05〜0.1ha)から一桁離れており、幅として広すぎたためです。0.05〜0.3haの範囲では、年間便益は約7億〜39億円となります。本稿の「県土のわずか0.04〜0.37%」という記述は、「0.04〜0.11%」に改めます。分散配置の効率という論旨は変わりません。>
(筆者試算。単価281万円/ha/年。1社あたり平均社叢面積は不明のため4シナリオ。神体山型の彌彦神社のような大規模社叢は別枠であり、この単純平均には馴染まない)
そして、この数字を読むときに一番大事なのは「面積の小ささ」である。
新潟県の面積は約125.8万ha。平均0.3ha想定なら、社叢の合計はその0.11%にすぎない。1.0ha想定でも0.37%である。
[筆者試算]県土に占める社叢面積の割合:0.04%〜0.37%
この小ささこそが、社叢の経済的な特異点である。
理由は配置にある。4,672の社叢は、県内のほぼすべての集落に1つずつ分散して存在する。同じ面積の森を一箇所にまとめても、防雪効果を受ける集落は一つだけだ。分散配置されているからこそ、単位面積あたりの受益人口が桁違いに大きい。
これは都市計画やインフラ配置の一般論に接続する。ネットワーク的に配置された小規模資産は、集約された大規模資産より、面積あたりの便益が高くなりうる。 分散型の防災インフラが、集落単位ですでに完成している——それが新潟の社叢の実態である。
6-3. 反実仮想の経済価値
第1節の反実仮想に、この単価を当てる。
[筆者試算]新潟が三重県並みに合祀されていた場合の年間便益喪失
| 平均社叢面積 | 消失面積(約3,150社分) | 年間便益の喪失 |
|---|---|---|
| 0.1 ha | 315 ha | 約9億円/年 |
| 0.3 ha | 945 ha | 約27億円/年 |
| 1.0 ha | 3,150 ha | 約89億円/年 |
(筆者試算)
一県あたりで年間9〜89億円。兆円の桁ではない。 だがこれは、
- 貨幣評価できない生物多様性保全機能を含まない(日本学術会議答申の明示的な除外)
- 全国森林平均の単価であり、集落近接という立地プレミアムを織り込んでいない
- 観光・文化価値を含まない
- 一県分の数字である
という条件下での値である。これを全国33〜44県分に展開すれば、第2稿で出した「兆円の桁」の推計とおおむね整合する。
7.【地理×経済の目】新潟観光の構造的欠落と、社叢という未使用資産
ここから、現在の話をする。
7-1. 新潟のインバウンドは「冬」に偏っている
新潟日報の報道によれば、2024年の新潟県内の外国人延べ宿泊者数は速報値で52万9,000人と過去最多になり、前年比53.2%増、コロナ禍前の2019年を10.0%上回った。ただし宿泊者の約6割が冬季に来県しており、通年での誘客が課題となっている。県内の外国人延べ宿泊者数は2019年に48万人を記録した後コロナ禍で急減し、2023年は34万5,000人に回復していた(下記出典39)。
改善の兆しもある。同紙の続報によれば、2025年1〜7月の外国人延べ宿泊者数は前年同期比56.8%増の57万5,220人と、過去最高だった2024年通年の実績をすでに上回り、課題だった4〜7月のグリーンシーズンが前年同期比6割増の約14万人に伸びた。県国際観光推進課は、スキー客など冬季偏重の傾向はあるがグリーンシーズンの誘客効果が一定程度出始めていると説明している。国別構成比は台湾21%、中国9%、香港7%、オーストラリア6%と続く(下記出典40)。
構造はこうである。新潟は「雪」で世界に売れている。だが雪は冬にしかない。
7-2. 佐渡の課題も、実は同じ構造
佐渡島の金山は2024年7月27日、第46回世界遺産委員会でコンセンサスにより世界文化遺産に登録された(ユネスコ日本政府代表部。下記出典47)。国内26件目の世界遺産である。文化遺産オンラインによれば、17世紀における世界最大の金生産地であり、西欧の進出によって世界中の鉱山で機械化が進む16〜19世紀にかけて、伝統的手工業による生産技術とそれに適した生産体制を各鉱山の特性に応じて進化させた金生産システムを示す遺構と評価された(下記出典48)。
効果は出ている。新潟日報によれば、佐渡市の2024年9月の観光入り込み客数は前年比21.5%増の5万3,871人(速報値)、8月も8.4%増の9万1,464人で、市観光振興課は世界遺産登録の効果が一定程度出ていると話している(下記出典41)。
だが、DBJ(日本政策投資銀行)と佐渡観光交流機構の共同調査は、率直な課題を指摘している。 佐渡島の観光ビッグデータ分析(2024年9月)によれば、独自の自然・文化を有する佐渡島は歴史・自然・食といった多様な観光資源を持つが、1泊2日など短期での表層的な観光が大半であるため観光客が島内を十分に周遊・滞在しておらず、夏季以外の閑散期や夜間の集客に課題がある。同じくDBJの経済波及効果の再試算によれば、コロナ禍前の2019年度に49.8万人だった佐渡市への来訪者は2020年度に26.1万人へ減少し、2023年度は44.4万人と2019年度の9割水準まで回復したが、来訪者は日本人客が大部分で外国人比率は限定的である(下記出典42)。
冬のスキーと、佐渡の金山。どちらも「点」の資産である。 点の資産は、集客はするが滞在を伸ばさない。
7-3. ここで熊野古道モデルが効いてくる
第2稿で扱った和歌山県田辺市を思い出してほしい。紀伊民報の報道によれば、熊野本宮大社を擁する田辺市本宮町の外国人宿泊客数は、世界遺産登録された2004年の492人から2024年には4万4,540人へ増加した。田辺観光協会によれば、熊野三山とそれを結ぶ参詣道は「紀伊山地の霊場と参詣道」として2004年7月に世界遺産に登録され、人と自然が長い年月をかけて育んできた文化的景観が類を見ないものと評価された。
熊野が売っているのは「点」ではなく「線」である。 参詣道という線、それを包む森、そして歩くという行為。だから滞在が長い。
では新潟には何があるか。4,672の社叢がある。
これは点でも線でもなく、「面」である。県内のほぼすべての集落に1つずつ分散配置された、越後平野をまるごと覆うネットワーク。
[筆者の分析]新潟の観光資産構造
| 資産タイプ | 具体例 | 集客力 | 滞在延長効果 | 季節性 |
|---|---|---|---|---|
| 点 | 佐渡金山、スキー場 | 高い | 低い | 強い |
| 線 | (熊野古道に相当するものが弱い) | — | — | — |
| 面 | 4,672の社叢と集落 | 現状ほぼゼロ | 潜在的に高い | 通年 |
新潟の観光における構造的ギャップは「線」と「面」にある。 そして面の素材は、すでに全県に配置されている。合祀を免れたおかげで。
7-4. ただし、これは楽観論ではない
正直に条件を並べておく。
- 熊野の成功は資産の存在によるものだけではない。 第2稿でも書いたとおり、田辺市熊野ツーリズムビューロー(2006年設立)という組織と、そこに関わった人々の20年の実務が決定的だった。資産があるだけでは何も起きない
- 4,672社の大半は無名で、神職も常駐しない。受け入れ体制はゼロに近い
- 管理主体が高齢化・人口減少に直面している。 新潟は明治期の人口日本一から現在15位前後まで順位を下げ、いまも人口減少が続いている。氏子集団の縮小は、社叢管理の直接的なリスクである
- 過度な観光化は、社叢そのものを毀損しうる
「資産がある」と「資産が使える」の間には、20年分の実務がある。 それを飛ばして「新潟には可能性がある」と書くのは、実践者の書き方ではない。
8.【歴史×倫理の目】佐渡金山という、もう一つの持続可能性
新潟県内には、まったく異なるベクトルの持続可能性がもう一つ存在する。ここを見ておくと、話の輪郭がはっきりする。
鉱山開発は、本来的に環境負荷の高い営為である。金銀の製錬には大量の木炭が要る。数百年稼働すれば周辺の山が丸裸になるのが通例だ。
だが佐渡はそうならなかった。Wikipedia「佐渡島の金山」の記述によれば、佐渡の森林は幕府直轄の御林として保護され、明治の御料林を経て恩賜林(国有林や県・市有林)として保護存続している。同項目は、石見銀山においても鉱物抽出のために周辺山林を薪炭として伐採した後に植樹を行い森林再生してきたことが環境に配慮していると評価されたことを引き、佐渡でも同様の点を紹介すべきだとしている。また、文化的景観として評価を得るには身近な自然からの自然享受があるなど文化的環境が伴う必要があり、森林保全が重視されるとも述べている(下記出典49)。
ここに、同じ県内で対照的な二つの持続可能性が並ぶ。
| 佐渡の御林 | 越後の社叢 | |
|---|---|---|
| 統治構造 | トップダウン(幕府直轄→御料林→恩賜林) | ボトムアップ(氏子・町内会) |
| 動機 | 資源(燃料)の枯渇回避=経営合理性 | 信仰・生活防衛 |
| 管理主体 | 権力機構(継承には制度が必要) | 共同体(継承には人が必要) |
| 記録 | 制度文書として残る | 慣習として残る |
| 強み | 明確な権限と一貫性 | 権力が変わっても続く |
| 弱み | 権力が消えると管理も消える | 共同体が縮小すると管理も縮小する |
どちらが優れているという話ではない。 佐渡の御林は幕府という強力な主体があったから続いた。越後の社叢は、逆に中央の命令に抗ったから残った。片方は権力によって、片方は権力に抗って、同じ「森を残す」という結果に到達している。
そしてどちらも、いま同じ課題に直面している。佐渡の恩賜林は行政の予算制約の下にあり、越後の社叢は氏子の減少の下にある。持続可能性を支える主体が持続可能かどうか——これが次の問いになる。
補足:「対照群」と呼ぶことの倫理
最後に一つ、書いておきたいことがある。
本稿は新潟を「対照群」と呼んできた。統計的にはそれで正しい。だが、対照群にも処置群にも、実際に人が暮らしている。
三重県や和歌山県を「森を失った側」として扱うとき、そこには合祀を受け入れた人々の判断があり、その後も土地を維持してきた100年がある。第2稿で書いたとおり、和歌山は熊野古道を世界遺産に育て、本宮町の外国人宿泊客を492人から4万4,540人に伸ばした。失った側が負け続けたわけではない。
歴史を自然実験として扱う手つきは、分析には有効だが、それだけで人の営みを評価してはならない。 統計は過去を説明する道具であって、地域を採点する道具ではない。これは記事を書く側の作法の問題として、明記しておく。
9.【授業設計】理科×社会の教材化メモ: 統計
現場で使う形に落とす。
[情報・統計×地理]「日本一」を分解させる
- 都道府県別神社数(『宗教年鑑』)と1888年人口(総務省「日本の長期統計系列」)を配布し、割り算をさせる
- 「新潟が1位」という結論が、基準化すると変わる(岐阜が上に来る)ことを自力で発見させる
- 問い:「日本一という言葉は、何を分母にした話か?」
- 狙い:ランキングを鵜呑みにしない訓練。ここが本稿で最も教材価値が高い
[社会×地理]白地図に2色で塗る
- 白地図①:現存神社数(絶対数)
- 白地図②:1888年人口で基準化した密度
- 2枚の地図の違いを言葉にさせる
- そのうえで合祀の地域差(知事裁量)を提示する
- 狙い:同じデータでも表示方法で結論が変わることの体感
[理科(物理)]防雪林の三機能を分解させる
- 扇風機と、①板(壁)②すだれ(多孔質)③何もなし、で気流を比較(発煙管や毛糸があると可視化しやすい)
- 板の背後に渦ができ、すだれの背後には渦ができないことを観察させる
- 問い:「なぜ壁より森のほうが吹きだまりを作りにくいのか」
- 狙い:多孔質減衰体という概念の獲得
[理科(物理・化学)×国語]土井利位のプロトコルを再現する
- 『雪華図説』自序の観察手順(黒い布を予冷、呼気を避ける、体温を伝えない、ピンセットを使う)を提示
- 降雪地では実際に再現、非降雪地では冷凍庫と黒い布で霜の結晶を観察
- 中谷宇吉郎による検証(摸写図の大部分が自然に忠実だった)を最後に示す
- 狙い:観察記録が100年後に検証されうるということの実感
[地理×国語]『万葉集』を植生リストとして読む
- 弥彦神社「万葉の道」に集められた約60種の万葉植物を題材に、文学作品を植生データとして扱う
- 現在の分布と照合できるか考えさせる
- 狙い:文系資料が理系データになる瞬間の提示
[経済]代替法を自分の街でやらせる
- 学校や地域の樹林を一つ選び、「これを撤去したら、同じ機能を人工物で代替するのにいくらかかるか」を積算させる
- 防風・日除け・雨水浸透・景観のうち、金額を出せるものと出せないものを分けさせる
- 狙い:非市場財を「測ろうとする」経験。金額が出ないことの意味を考えさせる
[発展・探究]自分の集落の社叢を測る
- 神社の位置と集落の位置関係を地図上で確認し、卓越風向・地形と重ねる
- 屋敷林の配置方向を記録し、地域内で系統性があるか確かめる
- 狙い:土地に刻まれた記録を読む
10. 結論:残らなかったのではなく、残さなかった
3本の記事を通じて言えることを、ここで整理する。
第一に、新潟の「神社数日本一」は、豊かさの証明ではなく、平常値の保存である。 1888年人口で基準化すると全国平均の1.38倍。突出していない。異常なのは三重0.45倍、和歌山0.34倍という消失のほうだ。新潟が増えたのではない。他が減ったのである。 この向きを間違えると、話がずれる。
第二に、残った資産は、量としては小さく、機能としては大きい。 社叢の合計面積は県土の0.04〜0.37%にすぎない。だが4,672の集落それぞれに1つずつ配置されている。分散配置された小規模資産は、面積あたりの受益人口が桁違いに高い。 集約と分散のどちらが効率的かは、機能の性質によって変わる——これは現代のインフラ設計にそのまま効く論点である。
第三に、残った資産は、まだ使われていない。 新潟のインバウンドは冬に6割が集中し、佐渡の観光は1泊2日の表層滞在にとどまっている。一方、和歌山は「線」の資産(参詣道と文化的景観)で20年かけて滞在型観光を作った。新潟には「面」の素材がある。ただし素材と商品の間には、20年分の実務がある。
そして最後に、これが本稿で一番書きたかったことだ。
明治の新潟の人々は、環境経済学を知らなかった。生態系サービスという語も、代替法も、割引率も知らなかった。彼らが持っていたのは、雪と生きてきた経験と、森を伐ってはいけないと知っている60年分の統治記録(川村修就の砂防林)と、自分たちで維持費を払える経済力だった。
その三つがあったから、「それはできません」と言えた。
サステナビリティとは、正しい計算式を知っていることではない。「それはできません」と言える体力を持っていることだ。 財政的に自立していない共同体は、中央の計算に従うほかない。合祀が三重・和歌山で徹底され新潟で骨抜きになった理由は、突き詰めればそこにある。
第2稿で私は「割引率の選択は倫理の問題だ」と書いた。本稿で付け加えるなら、こうなる。
倫理を実行できるかどうかは、体力の問題である。
雪深い越後の村々に、いまも4,672の鳥居が立っている。それは信仰の記念碑であると同時に、「断る力を持っていた共同体」の分布図でもある。
出典一覧
神社数の統計
- 文化庁編『宗教年鑑』2023年版(フクリパによる紹介記事) https://fukuoka-leapup.jp/biz/202411.41383
- 新潟県神社庁「コラム」 https://niigata-jinjacho.jp/column/
- 新潟県神社庁「よくある質問」 https://niigata-jinjacho.jp/q_and_a/
- 新潟文化物語「File-175 新潟県の神社」 https://n-story.jp/topic/file-175/
- ねとらぼリサーチ「『神社の多い都道府県』ランキングTOP30」 https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/100053/
- 吉原表具店「なぜ新潟県の神社数が日本一なのか?」(新潟県神社庁への取材) https://yoshihara999.com/?p=1080
- 神道体験プラットフォームINORI「神社の数が日本一多いのは、実は新潟県。その意外な理由とは。」 https://inori-japan.com/column/niigata-shrine-1/
- e-Stat 政府統計「宗教統計調査 都道府県別団体数」 https://www.e-stat.go.jp/dbview?sid=0003282740
- とどラン「都道府県別神社数」 https://todo-ran.com/t/kiji/14357
明治期の人口統計
- 総務省統計局「日本の長期統計系列」(とどラン「都道府県別明治21年(1888年)人口」経由) https://todo-ran.com/t/kiji/23072
- 国立国会図書館レファレンス協同データベース「明治時代に新潟県の人口が日本一だったというのは本当か。」(田中圭一『新潟県の歴史』山川出版社、大島美津子ほか『新潟県の百年』山川出版社、古厩忠夫『裏日本』岩波新書ほかを紹介) https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000322968&page=ref_view
神社合祀
- 大濱徹也「神社合祀」『世界大百科事典』(コトバンク) https://kotobank.jp/word/神社合祀-298629
- Wikipedia「神社合祀」 https://ja.wikipedia.org/wiki/神社合祀
雪と防雪林の科学
- 寒地土木研究所「吹雪対策マニュアル 第2編 防雪林編」 https://www2.ceri.go.jp/fubuki_manual/pdf/no2_snowbreakwoods.pdf
- Wikipedia「屋敷林」 https://ja.wikipedia.org/wiki/屋敷林
- 斎藤新一郎「寒冷地方の海岸平野における防災林の造成方法に関する研究」北海道林業試験場研究報告第22号 https://www.hro.or.jp/upload/3663/kenpo22-10.pdf
- 新潟県「【新潟】にいがた海岸林物語(海岸林の歴史)」 https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/niigata_norin/1220983405876.html
- 新潟県森林研究所「研究報告一覧」 https://www.pref.niigata.lg.jp/site/shinrin/kenpou-list.html
雪の結晶と記録文学
- Wikipedia「雪華図説」 https://ja.wikipedia.org/wiki/雪華図説
- Wikipedia「北越雪譜」 https://ja.wikipedia.org/wiki/北越雪譜
- 印刷博物館「『雪華図説』」 https://www.printing-museum.org/collection/looking/75371.php
- 中谷宇吉郎「『雪華図説』の研究」(青空文庫) https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/57860_60232.html
- 岩波書店『北越雪譜』(鈴木牧之編撰、京山人百樹刪定、岡田武松校訂、解説:益田勝実) https://www.iwanami.co.jp/book/b245854.html
- 野島出版「鈴木牧之 北越雪譜の世界」 https://shuppan.co.jp/seppu/
彌彦神社
- 越後一宮 彌彦神社「弥彦山」 https://www.yahiko-jinjya.or.jp/meguru/yahikoyama/index.html
- 越後一宮 彌彦神社「御本殿・拝殿」 https://www.yahiko-jinjya.or.jp/meguru/gosyaden/index.html
- 文化遺産オンライン「彌彦神社本殿」(国指定文化財等データベース) https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/136428
- 弥彦観光協会「弥彦山」 https://www.e-yahiko.com/spot/yahikoyama/
- 弥彦観光協会「彌彦神社」案内 https://www.e-yahiko.com/sight/tw-yahiko-jinjya
- Wikipedia「彌彦神社」 https://ja.wikipedia.org/wiki/彌彦神社
社叢の生態学
- Wikipedia「鎮守の森」 https://ja.wikipedia.org/wiki/鎮守の森
- 前迫ゆりほか「30 by 30をめざす社叢の生物多様性および文化的サービスに関する研究:OECM認定推進に向けて」『自然保護助成基金助成成果報告書』34, 155-167, 2025年5月 doi:10.32215/pronatura.34.0_155
- 高田知紀・梅津喜美夫・桑子敏雄「東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究」土木学会論文集F6(安全問題)68(2), 2012 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejsp/68/2/68_I_167/_article/-char/ja
経済評価
- 日本学術会議答申「地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価について」平成13年11月 https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/shimon-18-1.pdf
- 森林・林業学習館「森林の多面的機能一覧と貨幣評価」 https://www.shinrin-ringyou.com/data/shinrin_kinou_ichiran.php
- 林野庁『令和6年度 森林・林業白書』第1部第1章第1節 https://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/r6hakusyo_h/all/chap1_1_1.html
- 国土交通省「公共事業評価の費用便益分析に関する技術指針(共通編)」令和5年9月 https://www.mlit.go.jp/tec/hyouka/public/230912/shishin/shishin230912.pdf
- 国土交通省「仮想的市場評価法(CVM)適用の指針」平成21年7月 https://www.mlit.go.jp/tec/hyouka/public/090713/cvmshishin/cvmshishin090713.pdf
観光統計
- 新潟日報「2024年新潟県内の外国人宿泊者数、過去最多52万9000人!」 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/586265
- 新潟日報「新潟県内2025年1〜7月の外国人宿泊者数58万人、過去最高の24年上回る」 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/706239
- 新潟日報「新潟県佐渡市の2024年9月観光入り込み客、前年比2割増」 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/492447
- 日本政策投資銀行・佐渡観光交流機構「佐渡島の観光ビッグデータ分析」2024年9月 https://www.dbj.jp/upload/investigate/docs/b364c4efa06293f19ee476340d9bf8d7.pdf
- 日本政策投資銀行「『佐渡島の金山』世界文化遺産登録を契機とした地域価値の向上に関する調査報告書(経済波及効果の再試算)」 https://www.dbj.jp/upload/investigate/docs/c5dcb14e084b2092487c9aae12e8247e.pdf
- 紀伊民報AGARA「外国人宿泊客が過去最多 24年、今年も更新ペース、和歌山県田辺市本宮町」 https://www.agara.co.jp/article/491535
- 田辺観光協会「世界遺産『熊野古道』」 https://www.tanabe-kanko.jp/view/kumano-kodo/
佐渡島の金山
- 新潟県「佐渡島(さど)の金山」 https://www.pref.niigata.lg.jp/site/sado-goldmine/
- ユネスコ日本政府代表部「令和6年7月27日:『佐渡島の金山』の世界遺産一覧表への登録決定について」 https://www.unesco.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_00155.html
- 文化遺産オンライン「佐渡島の金山」 https://online.bunka.go.jp/special_content/hlinkL
- Wikipedia「佐渡島の金山」 https://ja.wikipedia.org/wiki/佐渡島の金山
さらに読むなら
- 鈴木牧之『北越雪譜』岩波文庫
- 中谷宇吉郎『雪』岩波文庫
- 古厩忠夫『裏日本――近代日本を問いなおす』岩波新書
- 田中圭一『新潟県の歴史』山川出版社
- 上田篤・上田正昭ほか『鎮守の森は甦る――社叢学事始』思文閣出版
- 栗山浩一・柘植隆宏・庄子康『初心者のための環境評価入門』勁草書房
本記事の記述は上記の公開情報にもとづき、筆者が要約・再構成したものです。引用元の文章をそのまま転載することは避け、内容は筆者の言葉で記述しています。「筆者試算」「筆者の分析」と明記した数値・表はすべて、記載の前提にもとづく筆者独自の概算であり、出典元の推計ではありません。前提が粗いため、桁の議論としてのみお読みください。神社数については『宗教年鑑』(宗教法人単位)、神社本庁包括数、民間データベースで数値系統が異なり、三重県・和歌山県の値は出典系統が異なるため概数として扱っています。また「13村のうち5村で神社数が変化していない」等の記述は二次資料に基づくものであり、原資料による検証を経ていません。
<2026年8月15日 訂正更新:神社数については『宗教年鑑』(宗教法人単位)、神社本庁包括数、民間データベースで数値系統が異なります。本稿の神社数は、2026年8月15日の訂正により、すべて文化庁『宗教年鑑 令和5年版』第2表⑵「宗教法人・神社」欄(令和4年12月31日現在)の単一系統に統一しました。>
